2023-09-24 (Sun) 07:26 ✎
市内の今の姿をスマホカメラで収める、先日のブログ記事( 昔と今を記録しよう その1 )に続く。新青梅街道の北側を中心に撮った5か所のその2。写真は奈良橋庚申塚交差点、新青梅街道沿いを東から西に向かって撮ったもの。
後の市報の連続コラム(あなたの近く 昔と今)の欄には、昔の写真は昭和42年4月(1967年)とあるので、56年前ということになる。交差点の由来の庚申塚はこの頃に取り壊され、奈良橋1丁目の雲性寺の門下に安置された。
交番の開設、そして新青梅街道はこの頃から現在のような形になっていくが、それ以前は砂利敷きの農道だったとのこと。青梅街道と新青梅街道の交差するこの交差点、交通量が多く、交通の要所となっている。
交差点はファミレス激戦区の一画でもあり、交番対角線の「ステーキのどん東大和店」が2001年9月、交番南側「くら寿司東大和店」が2009年1月、そして東側「天丼てんや東大和店」が2015年5月に開店し、それぞれ頑張っている。
後の市報の連続コラム(あなたの近く 昔と今)の欄には、昔の写真は昭和42年4月(1967年)とあるので、56年前ということになる。交差点の由来の庚申塚はこの頃に取り壊され、奈良橋1丁目の雲性寺の門下に安置された。
交番の開設、そして新青梅街道はこの頃から現在のような形になっていくが、それ以前は砂利敷きの農道だったとのこと。青梅街道と新青梅街道の交差するこの交差点、交通量が多く、交通の要所となっている。
昭和42年4月、昔の奈良橋庚申塚交差点(6704)
交差点はファミレス激戦区の一画でもあり、交番対角線の「ステーキのどん東大和店」が2001年9月、交番南側「くら寿司東大和店」が2009年1月、そして東側「天丼てんや東大和店」が2015年5月に開店し、それぞれ頑張っている。
今の姿・奈良橋庚申塚交差点あたり230919
今回の撮影位置と方向
今回、講座に参加したお仲間で撮った三十数か所は昔と今の写真、コメント等も添えて、市民文化祭や市役所ホールでの展示に使われることになっている。
講座・東大和市の昔と今を記録しよう!
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