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歴史街道を歩くNo.11

2013-01-09 (Wed) 07:30

今年初の歴史街道歩きの今回は甲州街道の第16回分。台ヶ原から蔦木宿まで、甲斐国と信濃国の国境を歩く(1/08)。参加者は25名。新宿を7時半に発ち、バスは対面交通で再開した笹子トンネルを抜け、前回終着の北原家住宅へ。

前回と打って変って冬の快晴・無風、気持ちの良いウォーキング日和となった。主なルートは、北原家住宅--田中神社--白州松林跡--諏訪神社--教来石宿--山口の口留番所--国界橋--蔦木宿(本陣跡)--三光寺--、およその歩程約14キロ。道中は、前半に左 甲斐駒、そして右 八ヶ岳と常に雪の頂に見守られる街道歩き、また一歩 江戸の時代に近づいた。

左 甲斐駒ケ岳                  右 八ヶ岳
甲斐駒ケ岳  八ヶ岳




このコースは、白州町(山梨県)と富士見町(長野県)の国境(くにさかい)を通る。

左 白州町(山梨県) 甲斐国     右 富士見町(長野県) 信濃国
白州町  富士見町

街道歩きのスナップの一部:
田中神社                    白須松林跡
田中神社  白須松林跡
左:お茶壺道中で有名。甲州街道は江戸時代、将軍御用の御茶のため幕府が宇治へ採茶使を遣わして、特別の格式と威厳をもって茶壺を運ばせていた。下諏訪から甲州街道に入った一行(採茶使)が1泊するのがこの拝殿。庶民は「茶壺に追われて戸をピシャン、抜けたらドンドコショ」と家に隠れてやり過ごしたといわれている。
右:一里にわたり松原が続き、中には6幹に分かれた六本松や白須の一ッ松と呼ばれた巨木もあった。昭和10年代に伐採されてしまった。

山口関所 西番所跡              山口の口留番所跡
山口の口留番所跡  番所跡
江戸時代に甲斐国と信濃国の国境いの通行人を監視し徴税を行った関所。「入り鉄砲に出女」江戸時代に鉄砲等の武器を江戸に持ち込むことや江戸幕府への人質として江戸に住まわせている諸大名の奥方たちが許可なく国元に帰ることを厳重に取り締まった。

国境橋                      三光寺
国境橋  三光寺
左:釜無川にかかる橋で、甲斐と信濃の国境。江戸時代の国境橋は、旧国境橋よりもわずか上流にあった。手前が山梨県、奥が長野県。
右:応永24年(1417)武田信重が僧となり、父・信光(武田家第十代)のために建立。初めは真言宗、後(1574)に曹洞宗に改めた。

蔦木宿本陣跡                  蔦木の街並み
蔦木宿本陣跡  蔦木宿の面影
蔦木宿は、もともと河原であったこの地に慶長16年(1611)に計画的につくられた宿駅である。幅広い一直線の道路があり、街並みは今も往時の南諏訪の繁栄をしのばせる。
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最終更新日 : 2015-12-31

Comments







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下水道のふたに感動

白洲町と富士見町の下水道ふたを拡大して拝見。
友人の奥様に日本中を回って、拓本して歩いているプロがいます。
普通、そんなことでもなければ、気にしないのだけど。

よくぞ、ここまで記録をとっていただいたとは!
2013-01-09-17:52 Mumbler
[ 返信 ]

Re: 下水道のふたに感動

韮崎市を歩いた時(12/20の記事で紹介)に、下水道のふたに「武田の里」ということが記されていて、なるほどなぁと「街の想い」みたいなものが伝わってきました。いいですね。そういう意味で、東大和市の「ふた」にはそういう想いがでていないなぁと改めて感じました。
2013-01-09-18:23 純平
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茶坊主も庶民にはドンドコショ

 小田原城にもお茶壺曲輪があって、茶壺道中の話が伝わります。茶壷を運ぶ道中では、普段あまり重きを置かれない江戸城詰めの茶坊主が、この時とばかり権力を振り回したらしいです。その葵のご紋をかさにきてなす様を、閉めた戸影で、ドンドコショとやり過ごす庶民に拍手ですね。
  野火止用水
2013-01-11-09:13 野火止用水
[ 返信 ]

Re: 茶坊主も庶民にはドンドコショ

お茶壺道中の往路は東海道、江戸への帰路に甲州街道を利用していたこと。子供のころ覚えていた「トッピッシャン」が「戸をピッシャン」であったこととその意味、遅ればせながら知ったところです。他にも記事に書ききれない沢山の学習の連続です。知らなかったことを知る、見たこともないものが見られる...歴史街道歩きです。
2013-01-11-16:29 純平
[ 返信 ]