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初夏の道南と北東北(八戸) 2

2019-07-14 (Sun) 10:52

6月末、初夏の道南と北東北(八戸)を旅した。先日のブログ記事( 初夏の道南と北東北(八戸) 1 )のその続きとなる。記録を残しておかないと忘れてしまいそう、ということで備忘録的にトピックスをいくつか。

初日の函館観光から、2日目はレンタカーで江差へ、なかなか足を延ばすことのないまちだ。江差の町をゆっくり散策。3日目は江差から函館へ戻ってレンタカーを返却、青函連絡船(青函フェリー)で青森、そして八戸、そのあたりを紹介しよう。

江差といえば、まずニシン、散策の途中いにしえ街道のそばやを訪ねた。

いにしえ街道にしんそば190622いにしえ街道やまげん
江差のにしんそば、いにしえ街道にあるそばやのやまげん

いにしえ街道:
北海道の中でも最も早く開港した港町のひとつ、江差町。17世紀以降、北前船の往来を基盤に、檜材とニシン漁、ニシン取引による繁栄を築いた町には、数多くの歴史的・文化的遺産が残されている。その歴史の香り漂う街並みの整備が進められ、核となるのが中歌、姥神町一帯の旧国道沿い地区の「いにしえ街道」。

檜材とニシン取引に関連した問屋、蔵、商家、町屋、それに社寺などの歴史的建造物や史跡、旧跡が数多く残されている。「歴史を生かすまちづくり事業」として平成16年に街路事業が完成し、歴まち地区「いにしえ街道」としての街なみが大きく整った。(左下画像)

横山家:
江差の繁栄を今に伝える旧家のひとつ。横山家は江差で200年以上続く旧家、江戸時代には漁業や商業、海鮮問屋を営んでいた。公開されている家は、北海道の有形民俗文化財の指定を受けているが今は、休業中となっていた。

いにしえ街道のまち並みとウナギの寝床形式の横山家
いにしえ街道のまち並み190622いにしえ街道横山家190622
民謡・江差追分190622江差山車会館190622
民謡・江差追分を聴く(左)と江差まちの山車(右)


江差追分会館と江差山車会館:
追分節は、江戸時代から信州中仙道で唄われた馬子唄がルーツ。今から200有余年ほど前に北前船によって江差に運ばれてきた。江差追分会館は、この地方文化を正しく保存伝承するため、昭和57年に建設された。地元の全国大会優勝者や師匠等が唄う本場の江差追分を百畳敷ホールで聞くことができる。(左上画像)

北海道最古の歴史と伝統を有する「姥神大神宮渡御祭」、毎年8月9日、10日、11日に神輿3台に供奉する13台の山車(ヤマ)が、それぞれ由緒ある人形、装飾品で飾られ町内の威信をかけて錦の御旗をひるがえし、町内を巡行する。その13台の山車の中の2台が1年交代で常設展示されている。(右上画像)

開陽丸記念館:  開陽丸は江差沖で沈没!
開陽丸は1866(慶応2)年10月にオランダで製造、翌年3月に日本に到着。徳川幕府の旗艦として働き、幕府が力を失った後、徳川の家臣たちは開陽丸を奪って北海道へ逃亡する。1868(明治元)年11月、榎本武揚は開陽丸で箱館に入港して五稜郭に入り、 江差の陸兵を援護するため、江差沖に到着するが、15日夜半の暴風雪のため座礁、約10日後に開陽丸は沈没した。

江差町に旧幕府軍の開陽丸を実物大で復元した軍艦・開陽丸の記念館があり、榎本武揚など乗組員の様子、貴重資料、遺物など3000点を展示している。(左右下の画像)

開陽丸記念館を訪ねる
開陽丸記念館190622開陽丸190622
トラピスト修道院190622トラピスト修道院ルルドの洞窟190622
江差に向かう途中で立ち寄ったトラピスト修道院


トラピスト修道院:
江差に向かう途中で立ち寄ったトラピスト修道院、1896(明治29)年創設された日本最初のカトリック男子修道院。この修道院では創建当初から開墾・農耕・牧畜が盛んに行われ、ここで作られるトラピストバターやクッキー、バター飴、ジャムは、北海道を代表する観光みやげ品となっている。修道院に続く道や周辺の散策路、それに広大な敷地裏手の山麓は、四季それぞれに美しい風景を見せてくれる。


津軽海峡フェリー190623青函フェリー190623
函館・青森間の津軽海峡フェリー(左)と青函フェリー(右)


青函連絡船は今:
青函連絡船と通称された、青森駅と函館駅などを結ぶ鉄道連絡航路は、1908年(明治41年)より1988年(昭和63年)まで運航された。 2019年現在、つぎの2ブランドが運航している。①津軽海峡フェリー(所要3時間40分)、②青函フェリー。今回、乗船したのは安い料金の青函フェリーで、所要は4時間となっている。

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最終更新日 : 2019-07-14

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