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長崎の島々 壱岐編

2018-12-18 (Tue) 06:53

師走に入った先々週(2 - 5日)、旅行社のツアーに参加して、長崎の島々、対馬・壱岐・五島を駆け足で巡って来た。対馬編に続き、その2島目の壱岐編トピックスを紹介しよう。

対馬ー壱岐間は、距離67キロ。高速ジェットフォイル船ヴィーナス号で、対馬・厳原(いずはら)港と壱岐・芦辺港を1時間05分で結ぶ。高速船というだけあって、フェリーに比べるとおよそ半分の時間で航行する。

壱岐は面積139㎢、人口は約2万6千人、森林率は35%ほど。対馬の5分の1の面積と対馬の森林率9割に比べ、農地が多い。対馬と違い、韓国だけでなく観光客全体も少ない。壱岐の年間23~25万人に対し、対馬は韓国の観光客だけでも35万人を超える(昨年)。

ジェットフォイル船ヴィーナス壱岐の島マップ 
ジェットフォイル船ヴィーナス(左)と壱岐の訪ねた観光地・太字(右)

猿岩:(左下画像)
壱岐の西部・黒崎に分布する玄武岩の海蝕崖の一部、そっぽを向いた猿にそっくりなので、猿岩と称されている。壱岐誕生のいわれとして、「壱岐は生きた島なので流されないようにと八本の柱を立てて繋いだ、その柱は折れ残り、今も岩となって残っている。」という神話がある。その八本の柱(“壱岐の八本柱”のひとつがこの「猿岩」で、壱岐のシンボル的存在。

黒崎砲台跡:(右下画像)
東洋一の砲台であった黒崎砲台跡は、猿岩隣の小高い丘にある。対馬海峡を航行する艦船を攻撃する目的で設置された砲台は口径41㎝、砲身18㎝の2連砲で戦艦の主砲が取り付けられた。普段は地下に潜り、海上からは見えない構造で、一度だけ試射された。終戦後、解体されたが周辺施設は当時のままで、現在は跡のみが残る戦争遺産。

壱岐のシンボル猿岩(左)と黒崎砲台跡(右)
猿岩黒崎砲台跡
左京鼻左京鼻観音岩
左京鼻(左)と左京鼻からの折柱・観音岩(右)

左京鼻と折柱の観音岩:(上の画像)
左京鼻は約1km続く海蝕崖のこと、崖上は広大な天然芝のスロープとなっていて、海中から細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。この岩は、猿岩と同じく、生き島神話の八本の柱のひとつ「折柱」。地名の鼻とは、壱岐では突端の断崖絶壁を意味する。

はらほげ地蔵(左)と原の辻遺跡(右)
はらほげ地蔵原の辻遺跡

はらほげ地蔵:(左上画像)
ウニ、アワビ、サザエなどの海女漁で有名な八幡浦海中に祀られている六地蔵。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)において、衆生の苦患を救う六体の地蔵。「はらほげ地蔵」の由来は、お地蔵さんの腹が丸くえぐりぬかれているためで、いつ、誰が、何のために祀ったのかは、はっきりしたことは不明という。

原の辻遺跡:(右上画像)
弥生時代の重要な遺跡として、静岡県登呂遺跡、佐賀県吉野ヶ里遺跡と同じく、史跡の国宝といわれる国特別史跡に指定されている。原の辻遺跡は唯一、国と王都が特定されていることは特筆。現在の発掘調査は2割程度で、調査済みのところは遺跡公園として復元整備され、自由に見学することができる。残念なことに、一支國博物館は休館日だった!

壱岐編の紹介も対馬編と同じく、この12月10日に公開された動画、長崎県がPRを目的にタレント福山雅治を起用した五島列島・対馬・壱岐を旅するドキュメンタリー動画シリーズ『もっと長崎の島々に、なる!』3篇、その壱岐編をご紹介しよう。(約5分)


「長崎ブルーアイランズプロジェクト」の第1弾WEB動画「体感、長崎の島」壱岐編


豊かな自然と海の幸に恵まれた宝島そして魏志倭人伝の島・壱岐、半農半漁からくる土地柄か、案内してくれたバスガイドさんや運転手さん、売店のオバさんも含めて、いい意味での壱岐のおおらかさが伝わってくる旅ではあった。残るは五島編、次の機会にということで。

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最終更新日 : 2018-12-18

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